【学校教育専攻】荒井洋樹 2022.3.24
先月の記事で、学校教育特論(文化)でできることについて、話題にしました。フィールドワークということで、実際に現地に足を運ぶテーマでしたが、コロナ禍もあり、外へ出るのにためらいのある方もいるかと思います。今回は文献史学の方法からアップローチをしてみます。基本的な文脈は、これも前にブログで取り上げた『馬と古代社会』に収録されている私の論文「古代における馬と和歌」に基づいています。
さて、馬の鳴き声を表すとき、どのように表現するでしょうか。現代では「ヒヒーン」とするのが一般的かと思います。それは昔から同じだったのでしょうか。これを調べようと思っても、1000年前の人に直接聞くことはできませんから、文献資料に頼ることになります。
というわけで、文献資料の宝庫たる図書館へ行ってみます。本学図書館は約46万冊の蔵書量を誇ります。
調べてみると、『万葉集』に次のような歌があります。
垂乳根之 母我養蚕乃 眉隠 馬声蜂音石花蜘蛛荒鹿 異母二不相而
たらちねの 母が飼ふ蚕の 繭隠り いぶせくもあるか 妹に逢はずして
(万葉集・巻十二・二九九一)
ここでは原文と訓読を示しましたが、問題となるのは原文の傍線部「馬声」です。訓読では「いぶせくもあるか」に当たり、「馬声」は「い」に対応する。以下、「蜂音」は「ぶ」に、「石花」は「せ」に、「蜘蛛」は「くも」に、「荒鹿」は「あるか」にそれぞれ対応します。このうち、「馬声」と「蜂音」は擬声語を用いており、馬は「イ」と鳴き、蜂は「ブ」と音を立てていたとわかります。
これだけでは単発の事例ですので、もう少し資料をあさると、平安期の物語である『落窪物語』には、面白の駒という人物の描写に、
さすがに笑みたる顔、色は雪の白さにて、首いと長うて、
顔つきただ駒のやうに、鼻のいららぎたること限りなし。
いうといななきて、引き離れて往ぬべき顔したり。
とあり、馬のいななきは「いう」と記されています。平安期は撥音(「ん」のこと)表記が存在しないので、「う」は「ん」のことで、馬のいななきは「イン」と理解するのが妥当でしょう。このように古代においては、馬の鳴き声は「イ」ないし「イン」と認識されていたことがわかります。馬のいななきをどう聞きなしたかということも、和歌という文献資料を通して知ることができるのです。
ちなみに、これが現代と同じ「ヒン」「ヒヒン」となるのは江戸時代にいたってからであることが明らかになっています(詳しくは山口仲美さんの『犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語がおもしろい―』(『山口仲美著作集6 オノマトペの歴史2』風間書房、2019)をご覧ください)。
以下、私の論文では、古代において馬がどのような存在として和歌に詠まれていたのかを検討しています。文献資料を扱って考察をまとめてゆく手法の参考になりますので、合わせてお読みいただければと思います。
このようにまとめると、資料がすぐに見つかるように見えますが、実際には膨大な資料をあさり、そこから使えそうなものを選別してまとめあげています。根気が必要な作業になりますが、それがつながったときの達成感は替えがたいものがあります。熱意あるみなさんの参加を待っています!
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